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2007年7月1日 友芽の病状

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3才の向暑 ~鬱の中、動き出す夏~

私の心の中に癌細胞のように成長しているものがあり、どうしようもなく、怯えて生きている。

心の蓋をゆっくり開けてみよう。   あぁ、書くことでこの苦しみがなくなるなら、私は何千回でも書くというのに。

蓋

「吐くのも吐かれるのも絶対に無理」とは昔から思っていたし、小学3年の時のことがトラウマになっていることも解っていた。

親しい友人に打ち明けることもあったが、あまり気にしてなかった。

高所恐怖症の人が高所に行かなければ大丈夫なのと同じで、私もそれに直面さえしなければ大丈夫だった。

大きな壁にぶち当たったのは、妊娠しようとした時だ。

つわりが死ぬほど恐かった。 私は自立訓練法と自己催眠を習い、心にあるものを取り除こうとした。

結局、妊娠してしまい、里帰りして何とか乗り切った。

自立訓練法や自己催眠も少しは役立った。

育てにくいタロウが生まれ、私の精神状態は少しずつ下降していった。

夜泣きが始まると、急速に悪化した。

そして、初めての冬、タロウは嘔吐下痢症になり、ダンナにも感染した。

私は食べ物が喉を通らなくなり、母乳が出なくなった。

疲れた心はもろく、これらのできごとがトラウマになった。

トラウマになるようなできごとの最中は必死だが、後から鬱の日々がやって来る。

夜泣きの始まった8ヵ月から、嘔吐下痢症、車酔い、感覚の過敏と食べることの不器用さによる嘔吐など、絶え間無く脅かされ続けた。

それでなくても、夜泣きやぐずり、癇癪に悩まされていたというのに。

タロウを連れての人付き合いができなくなり、里帰りの回数と居候期間が増えていった。

タロウ1才4ヵ月。 「タロウと一緒に死にたい」と初めて思った頃、メンタルクリニックに通うことになった。

母の協力で卒乳し、心の薬を飲むことになった。

私にはまだ元気になる力が残っていた。

 

「タロウが育てにくいのは、将来立派な人になるから。今が頑張り時であり、来年こそ育てやすくなるはず」

 

そう信じていた。

弱い漢方薬の効きを感じなくて、勝手に止めてしまった。

次に薬を再開したのは、やはり冬のお腹の風邪によるトラウマの後遺症の時だった。

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2才近くのタロウはママっ子で、私に張り付き、苦しみや欲求をしつこく訴えた。

言葉のキャッチボールがうまく行かず、私の思いはタロウの心に届かなかった。

私はタロウの嘔吐に、強姦にでも遭うような恐怖感を持つようになった。

タロウは1才後半から2才代が一番育てにくかったと思うが、3才3ヵ月のタロウを育てている今が一番、心が苦しい。

それは、いくつかの理由が考えられる。 第一に、トラウマになるようなできごとをたくさん経験し、予期不安と不安発作が悪化したこと。

第二に、「来年こそゴール」と思って目指してきたのに、先天性の治らない障害と診断され、今こそがスタートラインだと知り、ゴールが見えなくなったこと。

第三に、もう疲れ果ててしまったということ。

タロウと離れたいけど離れられないという、悪循環に陥っている。

入園準備として、タロウに保育や集団を体験させなくてはならないと思うが、こんな保育困難児を安心して任せる勇気がないし、風邪の感染を恐れているため、前に進むこともできない。

タロウのちょっとした異変や、流行する風邪の記事を読んだだけで『嘔吐恐怖症』のアンテナが察知し、怯えてしまう。

「強くなりたいから」と強がってみたとしても、自分に嘘はつけないもんで、後から後遺症になる。

薬を続けているが、根本が治ってないから、ほんのごまかしに過ぎない。

なさけないが、タロウが変わってくれることを願うしかないのかもしれない。

コメント

  1. こばとん より:

    我が子が育てにくいと感じてならず、このサイトにたどり着きました。
    とてもとても心境がわかってなりません。
    現在1歳10ヶ月。わたしも鬱になってしまいました。今後のことを考えると薬を飲んでいても一向に回復しません。

    現在どうしておられるのでしょうか?
    もしよろしければ教えていただきたいです。

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