生きることが昔から困難だった。
小学生の頃の出来事がトラウマとなり、それが原因で死ぬほど恐い『恐怖症』ができてしまった。
『嘔吐恐怖症』だ。 この文字を書いているだけで不快になる。
避けてごまかして生きてきた。死ぬ時まで、何とか避けてごまかして生きようと思っていた。
でも、いつか克服できるだろうと、あまり深く悩んでいなかった。 タロウを産み、尋常ではないぐずり、号泣、夜泣きにいつでもビクビクして暮らしていた。タロウの私へのこだわりは、時には強姦にでも襲われるような恐ろしさがあった。
心が不安定になった。
不安定な心はもろい。 『恐怖』を体験する度、心に大きなショックとストレスが残った。 日頃のストレスは心の回復を遅らせた。心のカサブタが、治る前に剥がされてしまう。 恐怖と不安の生き地獄だ。
タロウが1才の時にメンタルクリニックの通院を開始したが、始めは「私に否はない」と思っていた。
2才後半で障害が分かり、「全てはタロウの障害のせいだ」と思っていた。
3才になって正式に診断が下る頃、タロウが扱いやすくなっていくことに反比例して、私の心の病は悪化していた。
そこで初めて気づいた。 「私が心の病なのは、私自身のせいなのかもしれない」と。
この生きにくさは、私のどこに問題があるの?
『嘔吐恐怖症』のせい?
いや、そもそも、『嘔吐恐怖症』になってしまったことに問題があったのかもしれない。
そういえば、幼い頃から生きにくかった。得意を伸ばし、不得意をごまかし、普通を目差し、努力してきた。生きにくいことを普通だと思い込んでいた。
数冊読んで軽く学んだ自閉症の知識、タロウの性質、ダンナによる私の『障害者発言』…… 「私も自閉症かもしれない」 もし私が『自閉症』なら、この生きにくさが理解できる。
私に必要な“支援”も分かる。タロウにしているから。
自閉症の診断は大学病院でしかできないようだ。が、私は決めた。自分のことを知る第一歩として、身近な精神病院で、『心理検査』をしてもらうことに。
メンタルクリニックの先生に紹介状を書いてもらった。
封の閉じられた紹介状を、光にかざして見た。 『不安障害』 “鬱”の文字は、ない。
いつだったか、光にかざして見た診断書には“鬱”という文字が入っていた。
先生も私も、本当の病名が分かっているとはいえないと思う。 タロウも不安をたくさん抱えている。
タロウにとって“安心”は私の存在なのだと思う。
生きなくちゃね。
コメント
はじめまして。
記事をいくつか読ませていただきました。
かなり前のこの記事ですが嘔吐恐怖症の方はいかがでしょうか?
わたしも同じ心の病です。
恐怖を感じただけで体の震えが止まりません。
子供は7歳と2歳の2人です。
毎日ノロになるのではとか、一日一日暮らすだけで精一杯です。
発作が起きた時は死にたくなります。
こんなわたしに何かアドバイスいただけると嬉しいです。