タロウが鼻詰まりのせいで食べ物をうまく飲み込めず、暴れるように苦しがった。
口の中の食べ物を掻き出す時、うまく掻き出せなかったのか、戻してしまった。
私はタロウの口の中に手を入れて掻き出すことができない。やったことは何度もあるし、その気になればできなくもないが、死ぬほど恐い。
ま、普通なら滅多にないことだから、これができなくても悲観することないと勝手に思うことにしている。
そんなわけで、ダンナと母が掻き出してくれた。
ダンナの手加減が嘔吐のスイッチに触れてしまったらしい。
ぐったりするタロウの顔を拭き、着替えさせ、寝かせるまで、私はそれなりに気丈に振る舞った。
タロウが寝た後、ダンナは何事もなかったかのようにゲームに没頭していた。
ダンナは私から見て『行き当たりばったりで、どんなことにも対応できる、“どうにかなるさ、どうにかするさ”タイプ』だ。
とても頼もしい。
だけど、無神経にも見えてしまう。
今回の件を、自分には落ち度がなかったかのように、私にいちゃもんをつけた。
「あぁいう物を食べさせない方がいい」とかいろいろと。タロウの一番近くで食べてるところを見てたくせに。
私は『石橋を叩いて渡るタイプ』だ。
失敗するのが恐いから、失敗しないよう努力する。
私の文才じゃうまく表現できないけど、タロウの食べ方を危ないと思いながらも軽視し、突然の事態を動揺せずに対処し、タロウが戻したことを軽く流し、私に言いたいことだけ言い、何事もなかったかのように元の生活に戻るダンナ…
悪くはないよ、うん、悪くはない。
でもね、心に大きなストレスを感じてしまったのに、共感しあえる人もなく、一人ぼっちにされた私が、すぐに立ち直れると思うかい?
トラウマがまた一つ増えた。
慣れない事態に、嘔吐。
注意さえしていれば防ぐことができたかもしれないのに、私が人任せにしていたせいで見落としてしまった。
一人呆然としてしまう。頭の中はリアルな恐怖心でいっぱいになり、あいまいで断片的なシーンがリフレインしている。
このことが鬱の原材料となり、数日後に鬱悪化となって出てくる。
来週末は自宅にリハビリ帰宅しようと思ってたけど、自信がなくなってしまった。
ダンナとの“基準”の相違による不安感は今までもあったし、これからも続くだろう。
我ながら手のかかる心だ。
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