育てにくい子の会。少しだけ復活!

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箇条書き

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★私のつぶやき
ブログに書きたいと思うことはあるが、一つの記事としてまとめようとすると、精神的にダメージが大きい。なぜなら、自分が書いたことを何度も読み返すからだ。
でも、思ってることを溜めておくとモヤモヤするという面倒な私。適度に吐き出したい。

過去何年かブログなどを書いていたが、あの頃は書くことで何とか生きてきた。架空の誰かに強く訴えていた。まだ人を信じ、希望を持っていた。勢いもあった。

今はすっかり諦めてて、お金が全てです(笑)。というのは半分冗談として。

今後は箇条書きにしてみようかと思う。書いてすっきり、はいおしまい、と。
起承転結がないと楽よね。楽というより、きっと快楽だわ。

ふと思うのが、後輩ママさんからの需要はあまりないのかなということ。
今ブログを書いている本来の目的は、後輩ママを励ますためだったような。違うかな、忘れちゃった。

私の過去のように苦しんでるママはあまりいないのかな。
やはり少数派なのかな。

育てにくさと障害の重度って関係ないと思う。
今の落ち着いてる息子を見て、誰も地獄の日々を信じないだろうね。ということは、私の育てる能力が低いと思われてるということだよね。
納得いかないな。

まぁね、考え方を変えてみると、息子は泣いて暴れてひっくり返ってたから、手をかけてあげることができたということだ。

おとなしい自閉症児は違うタイミングで苦労するだろう。私は今になって母に甘えている。子供の頃に甘えられなかったから。

手のかからない自閉症児の親とは分かり合えないけど、妬む相手としては相応しくないね。

話がそれたけど、地獄のような育児をしているママさんには希望を持たせてあげたい。
私と同じような失敗をしないよう、教えてあげたい。
ゴールが見えると少しは気が楽になるでしょうから。

では、次回から箇条書きを試してみることにするのでまた会いましょう。

コメント

  1. たまごん より:

    私も、お金が全てです。いっしっし^^ 冗談です。(笑)

    私も、なんとなくありますね。まだまだ自閉症の世界とは、切りたくても切り離せないところで、小さいお子さんを持ってる自閉症の子のお母さん達は、昔の私みたいに悩んでるだろうな・・・なんて思いますね。

    小さい子供さんを持ってるお母さんは、受容の面で苦労されてるんじゃないかと思います。自分の子が自閉症である事を認める段階で、まずは苦労されるから、他の人、特に大きな自閉症の子供さんのブログを見るのが、少し怖いんじゃないかと思います。

    もし、何か自閉症が治るミラクルな薬が世に出てくれば、普通の人たち(特に、診断を受けたばかりの親御さん達)は、すぐにそれに飛びつくと思います。でも、自閉症を受け入れた人達だと、それがあったとしても、すぐに飛びつかないと思うんです。今まで、いっしょにがんばった事や、自閉症が意味があるもんだったと思うと、なかなかすぐに飛びつけないんじゃないかと思うんです。(私だけかもしれないけど・・・)

    自閉症を受け入れるイコール、我が子を受け入れるというような事で、しいては自分を受け入れる事でもあります。それが、ミラクルな薬で、解決できるようには思えないんですよね。自閉症の不思議なところは、親子と先祖から伝わってきた動態が全て繋がってるってとこです。

    昨日、レストランで小さいお子さんが、自分で手を洗って、ちゃんと席に自分で戻ってきて、その間お母さんは別の人と楽しくおしゃべりしてて、そんな何気ない光景を見て、驚きました。もう、妬みとか無くなってるんですが、自分がどんな世界に生きてきたのか思い返して、微笑みました(というか、笑えました←壊れてる?^^:)。

    • 友芽(たまごんさんへ) より:

      こんにちは(ケータイ絵文字って使えてるのかな)
      コメントありがとうございます。

      私は未だに自閉症を受け入れたとは言えませんよ。自閉症に対して前向きな人に拒絶してしまいます。私は今でも息子が自閉症じゃなくなることを願い、自閉症を憎んでいます。

      私はただ、あの頃あんなに大変だった、本当に地獄のような育児だったけど、100倍くらい今のほうがいいですよと知らせたかっただけです。私、単純だから。

      私が幼い息子を育ててる時、先輩ママのブログを読んでました。読むたびに嫉んでました。「プールに入れるなんていいじゃない」とか。全く参考にならないし、おもしろくなかったです。息子は当時病院も役所も何もかも入れず、入ったら泣いてのけぞってましたから。
      それが、今は普通級ですものね。あの頃読んで嫉んでたお子さんより手がかからないかもしれない……

      だから、過去と現在を載せたサイトはもっと需要があると思ったんですよね。まぁ、旦那が勝手に過去の私の捨てた記事をアップしてるわけですが。今は書く気ゼロに近いです。書かないほうが安定すると知ってるので。

      私は親子で絵本を見て微笑ましい会話をしたかったです。耳鼻科の待合室でよく見る光景です。

  2. たまごん より:

    私も、息子の過去を振り返ると、大変だったなと思います。

    >それが、今は普通級ですものね。あの頃読んで嫉んでたお子さんより手がかからないかもしれない……

    スゴイ進歩だと思います。医者から、治らないと言われる段階で、ここまで変わるとは考えられないですもんね。こういう例もあるって事を、ブログを通じて、旦那さんも伝えてあげたいと思われてるんですね。実際、小さい頃のブログは、よく見るけど、大きくなってからは見ませんもんね。

    私は、小さい頃の息子のブログを書いてたけど、途中で削除しましたからね。あんまり、辛くなって。 ブログ自殺みたいで、その頃の自分を抹消してしまいたかったような感じでした。そして、新たなブログを作って、また生まれ変わるような・・・(笑)

    友芽さんは、何か息子さんの改善に向けて役に立った事ってありましたか? セラピーとか、自己流とか? 

    >私が幼い息子を育ててる時、先輩ママのブログを読んでました。読むたびに嫉んでました。「プールに入れるなんていいじゃない」とか。全く参考にならないし、おもしろくなかったです。

    すいません。前後するんですが、この先輩ママさんのブログと息子さんのキャラクターが、大きく違ってたんでしょうね。ある自閉症の子には、出来てる部分が、違う子では出来なくて、反対の場合もあって、、、と、得意じゃない分野がそれぞれにあるんですよね。私も、自閉症の集まってるグループ(例えば、このブログ村)でも、なかなか自分の息子との共通するブログというのは無くて、違うな~と思いながら読んだりしますが、「自閉症」という名前が単に同じで、実際には別の問題を抱えているんだろうなと思います。

    ホメオパシーでは、レメディーの名前が病名の代わりとして呼ばれていて、例えばベラドンナの患者とかシリカの患者という風になります。自閉症の患者という名前は、あんまり重要じゃないんです。なので、もしこの自閉症のグループの中のブログで、自分の息子と同じようなキャラクターの子がいたら、同じレメディーか、もしくはそれに近いレメディーの子なのかもしれないという事になるんです。

    友芽さんが、ご自身の事で、2面性を持っていると書いてあった部分は、私も持っていて、何か自分のキャラクターを書いてあるみたいな感じでした。なので、もしかすると友芽さんと私では、似たようなレメディーなのかもしれないなと思いました。でも、実際には、たくさんの症状と照らし合わせて判明するので、わからないんですけどね。

    • 友芽(たまごんさんへ) より:

      いつもお世話になっております(^^ゞ

      息子のキャラクターがいつ確定するのか分からないけど、まさかこのように育つとは思いもせず。
      知っていたらこんなに苦労しなかったでしょうに。

      育てにくかったことは良かったとは思えません。例えば、予定外の一人っ子になってしまったこと。(決して一人っ子を否定してるのではありません。選択一人っ子は“アリ”だと思います)

      でも、息子が育てにくかったからこそ、私たち家族が息子にたくさんのものをあげることができました。
      ほかのママの何倍も抱っこしたし、考えたし、悩んだし、優しくしたし、褒めたし、聞き入れたし、気持ちを汲み取ったし、添い寝したし…
      息子は蓄えたものがあったから、自尊心を失わず、明るく、興味の幅が広いのだと思います(私は欠落している部分です)。

      私がいつも疲れて家事がちゃんとできないから、息子は家事を覚え、それが自信になっています。

      療育やら親の会やらいろいろ調べたけど合うものも信じるものもなく、無所属なまま障害児枠で保育園へ。息子は保育園で劇的に成長しましたね。
      私は保育園でも小学校でも先生方とよく話してました。

      息子が5年生になり、人間らしくなり、私と似てきたんですよね。
      息子を肯定すると、過去の私も肯定しなければならない。それはここまでの生き方を否定することになり…(この続きは長くなりそうなので記事にします)

      入園まではとにかく息子博士になり、こだわりを鎮めるだけで精一杯。
      入園後は保育園や学校とよく話し合いました。
      今年度から通級が始まったので、親子で始めての自分らしい居場所になるといいなと思います!

  3. たまごん より:

    友芽さんが息子さんを諦めなかった様子が伝わってきます。
    私も、自閉症を受け入れるのは、かなり困難で今でも完全に受け入れて、受け入れたいと思ってるわけじゃないです。でも、当事、診断を受けた頃は、明らかにそうでした。受け入れたくないと思ってました。あの頃に比べるなら、今は息子と息子の診断名を受け入れられてます。その分、自分への重みが軽くなった感じです。

    ホメオパシーで治療してるのは、受け入れるけれど、諦めたわけじゃないからです。治療してる中で、ずっと継続はしてないにせよ、本来の息子の姿が見えて、その息子を助け出したいと思うんです。息子は、勉強なんかは、出来てるみたいですが、それだけが息子にとって幸せだとは、思えないんで、生きてて幸せだと思うようになって欲しいと願ってます。

    友芽さんが、息子博士と表現されている部分で、「ああ、息子さんの事をよく観察されてたんだな・・・」と思いました。どんな事でも目を背けずに、それが息子さんだと認める事は、簡単なようで難しいですよね。かなり、ストレスもかかります。私も、息子がプリスクール(保育園)に行ってる時も、シャドーで付き添ってて、凄く疲れました。打ちのめされた気分でした。

    >息子は蓄えたものがあったから、自尊心を失わず、明るく、興味の幅が広いのだと思います(私は欠落している部分です)。

    実は、私も欠落してます。子供の頃からです。なので、息子には、それらを伸ばして欲しいと思ったのでした。

    >私は保育園でも小学校でも先生方とよく話してました。

    私の場合は、自閉症と診断されて最初の方では、先生や他の人達の言葉を耳に入れようとしてなかったです。自分で本を読んで、自分で勝ってに暴走してた感じでした。医者を医者とも思わず、医者に自分の意見を押し付けてたこともありました。
    小学校に入って、自分の手の届かないところに息子が置かれるようになって、それから少しずつ話が聞けるようになってきました。少しだけ、子離れした瞬間でしたよ。それからは、先生の話を真剣に聞くようになって、共同作業のような事が出来るようになってきました。今では、先生に感謝してます。

    考えたら、息子がわがままな私を引っ張った所がありますね~(笑)

    • 友芽(たまごんさんへ) より:

      こんにちは(^_^)
      コメントありがとうございます。

      私は子供の頃からまわりを基準に生きてきたところがあります。“自分”がないからですね。
      だからでしょうか、意思が揺れやすいです。
      私は比較的早く結婚し、男の子が欲しいと思って息子を授かり、まぁまぁ順調でした。
      正直、やはり人よりいい思いをしたいです。
      人生であまり経験したことのなかった優越感がちょっとありました。
      息子のトラブルやら困り点やらを解決し、ちょっと客観的見ると息子の成長が見えます。
      ちょっと落ち着いた気持ちになると、視野が広くなったような感覚になり、まわりが見えてきます。すると、不妊症だった知人たちが、私が育児に苦労してる間に順調に複数の子供を産んでるんです。健常な子を。
      年賀状の妊娠、出産の報告が複雑です。私の幸せを乱さないでと思ってしまうこともあります。
      でも、親友の娘ちゃんたちが息子と楽しそうに遊んでくれるとうれしいです、とても。

      息子は小学校入学早々私から離れられなくて教室に付き添ってました。二次障害になるまでは息子の成長以上のものを求めてました。かなりスパルタでした。もし、息子が二次障害にならなかったら、私は変わることができなかったです。頭で分かっていたことを実感することができました。
      先生方には感謝してもしきれないくらいです。

      が、最近、周囲が
      “無条件に子供の味方です”な雰囲気が嫌だなぁと思います。私の味方って、いつの時代もいなかったぞ…なんだか納得いかないかも〜
      まぁ、ありがたいことなんですけどもね。

  4. たまごん より:

    自閉症の子を育てるのって、周りに感化されない事を強いられますね。周りの健常児や、周りの自閉症児さえも気にしていると、余計に辛くなったりします。自分と自分の子供を見つめて、どうやってこの状況を乗り越えられるのかを、それぞれに考えないといけなくなります。自分がこんなに苦労してるのに、他の健常児を持つ親は、何もせずに楽に暮らせているとか思ったりします。でも、実際にそれが他には、見えてないだけかもしれません。子供だけが、人生じゃなく、他の環境や、将来、過去も全て含めてじゃないと、比較は出来ないのかもしれません。人の不幸を喜ぶわけじゃないんですが、実際に人と比べるのは、難しいんだろうと思います。

    自閉症児との生活を10年以上続けてきた今と、それが始まったばかりの時は、凄く違ってる気がします。でも、結局は、あの頃の延長であって、これからもそれが続きます。そうだとするならば、自分が変わるしかないんだなと思います。でも、考えれば、子供を産む前は、自分の事に自信がなくて、好きになれない人間だったんで、変わるって事に何をためらっているのか、不思議になります。好きになれない自分ならば、何も拘って、それを守る必要もないんだと思いました。もし、自分の子が自閉症じゃなかったら、何も抵抗無く、過ごしていたのか?!というと、多分そうじゃなかったと思います。何かの劣等感が多分、存在してたんじゃないかと思います。難しいですね。

  5. 友芽(たまごんさんへ) より:

    お返事が遅くなってすみませんでした。

    面倒な内容になってますが、ただつぶやいてるだけなので、さらりと流して下さいね。

    私は息子が発達障害と診断されなかったら、自分に発達障害の可能性があると気づかなかったと思います。そこまで知能が高くないから(苦笑)

    私はこのような難しい子育てをしていなかったら、不自由は感じつつ、普通に暮らしていたと信じて止みません。得るものより、失うものが圧倒的に多かったです。
    私なりに真面目に頑張って生きてきたから、今さら発達障害に気付いても遅いというか、今から変えるということは、過去を否定することになってしまうのですよね・・・
    結婚というタイミングで過去を捨てるようにして変えたのに、また過去を蘇らせなきゃいけないような感覚です。

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