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生きなくちゃ(命懸けの決断 祖母宅へ①-2007-09-25)

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★生きなくちゃ

夫のおばあちゃんち(本家)へ、家族三人で行ってきました。 片道何時間かかったでしょう…  
電車  約25分 →電車 約25分 →新幹線 約75分 →自動車 約25分 でした。
現在の我が家には有り得ない長距離移動でした。 私の「行く決心」がつかなくて、延び延びになっていました。

今回は約3年ぶりです。

私にとってどれくらいすごいことを達成したのか、言い表す言葉が見つかりません。 あえて言うなら、運動不足の私がフルマラソンを走り切るのと同じくらいでしょうか。 これから「祖母宅へ行けなかった理由」を書きたいと思います。 記憶力の障害と薬の副作用で脳みそがボケてて、今までとダブることを書いてしまうかもしれませんが、どうかお許しを。

私は、主治医によると「鬱状態」で、別の精神科医によると「不安障害」です。 病名ではありませんが、「嘔吐恐怖症」です。 別に不幸自慢しているわけではありません。 把握して、どうにかしようとしているのです。

しかし、なかなかどうにもなりません。 息子のあまりの育てにくさに疲れ果て、元々弱かった“心”が故障してしまったようです。 息子は乗り物酔いをします。 1才くらいに始まり、だんだんひどくなりました。 車ではどこも行けなくなりました。 電車も20分で休憩しないと危険です。 近場しか行かなくなりました。 というより、行きたくなくなりました。

場所や食べ物などの拒絶、強いこだわり、それらに伴うぐずり、癇癪、パニックがあります。 例えば、4才になるまでは、風邪をひくと、不快感にぐずりや癇癪を起こし、おとなしく寝てることはありませんでした。 小児科へ行けば、泣いて暴れるので、待合室で待てませんでした。 「風邪=地獄」でした。

偏食がひどく、食べ物を飲み込むことが不得手で、食べ物に関する悩みは尽きません。 さすがに、食べ物を飲み込めずに吐くことはほとんどなくなりましたが。 息子の難しいところはまだまだありますが、乗り物酔い以外は、自閉症特有のものだと思います。 私は息子が恐怖対象です。 息子に怯え、普通の暮らしさえできません。

なのに、何時間もかけ、お店も近くにない田舎に行ことくなど、考えただけで気絶しそうでした。 実際、3年前に行った時、私は発作を起こしかけました。 あの頃より私の心の病は悪化しし、息子の乗り物酔いはひどくなってます。 今度は発作で済まないと思いました。 今の私たちに重要なことは何でしょう。

家族で穏やかに暮らすことだと思います。

穏やかに暮らすなんて、当たり前のようでいて、到底叶いそうもない夢です。 家族の幸せが第一なのに、祖母宅へ行くことを強く願う夫の気持ちが理解できませんでした。 だけど、私のせいで行けないことは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 次に、「祖母宅へ行くことを決めた理由」を書きたいと思います。

簡単に言うと、ヤケクソです。 ネガティブな理由で決めました。

夫が私に言葉の暴力を奮い、やめそうにありません。 明らかに、私への恨みがあるようです。
いつも私を馬鹿にし、私の発言を否定し、私の親のことまで悪く言います。 確かに、妻の役目を果たせないダメ妻です。 だからと言って、許せる範囲ではありませんでした。

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そもそも、夫の優しさがあれば、私の病もここまで悪化しなかったと思います。
夫は夫で言い分があります。 喧嘩をすれば永遠に平行線です。 お互いに口もききたくなくなりました。

私が息子の特徴を受け入れられないように、夫も私の特徴を受け入れられないようです。
私は私の苦しみやつらさを理解しない夫のことを絶対に許せません。

もう別居でも離婚でも何でもいいや…と思いました。
とにかく、この苦しみやつらさから早く逃れたかったのです。

そして、「祖母宅へ行く」という夫の強い願いを叶えることにしました。
その願いを叶えてくれたら自分は変われるだろうと夫は言います。

「本当だな、見てやろうじゃないの」

心でつぶやきました。 夫への憎しみが、不安を上回ったのです。
急遽、その日に行くことに決め、支度を始めました。

続く。

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