育てにくい子の会。少しだけ復活!

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記憶の困難について

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★私のつぶやき
出来事を記憶しないくせがついてしまった。
もともとない記憶力が、ますます無くなり、好きな事も記憶できなくなった。
私には処理しきれない事実や出来事ばかりだったから、スルーばかりしてたらこうなってしまった。
アルツハイマーなのかもと思うくらいだが、精神科の主治医は鬱の症状ではないかと言い、様子を見ている。
息子の扱いにくさは、息子自身の不安から来ている。
例えば、生まれたての赤ちゃんでも、夏の暑さ、冬の寒さに順応することができる。健常であれば。
息子を育てた私は、普通の子の“当たり前”にいちいち驚かされる。
暑くても寒くてもいちいちぐずったりしない。
息子は暑くて癇癪、寒くて癇癪だった。
これが全てにおいてだから、非常に面倒くさい。
起きている間ずっとぐずっているなんてこともあった。
夕方泣いて、夜泣いて、自由時間どころか家事する時間がないこともあった。

それは大きくなるに連れて消えていった。
心の成長が癇癪を抑え、本来のおっとりした性格が前面に出てきた。
でも、不安の大きさはきっと今でもさほど変わらないであろう。
今も昔も変わらない先天的な性質がある。
表に出るか、出ないかの違いだ。
普通の子が何も考えずに通り過ぎる道を、息子はお化け屋敷に入ったかのような進み方をしている。
息子の成長は著しかった。
でも、健常児の成長も著しい。
追いつくことはできない。距離は縮まらない。
達成したい課題は常に掴めないところに行ってしまう。上へ上へと。
私が焦っていなくても、焦らないとついていけない。
息子とのんびり成長していきたいのに、常に急がないと遅れてしまう。
息子が普通学級に入ったからだ。(教育委員会や小学校の判断による。)
ずっと苦労することを知っているのに、息子も家族も普通学級を望んでいる。
なぜなら、息子には個別支援学級が合っているとは言えないからだ。
(この地域の個別支援学級の場合)
だからと言って、普通学級が合ってるとも言えないのだけれど。

人より秀でていることをほめたり、苦手なことを頑張っていることを応援することはいくらでもできる。
しかし、息子の場合、比べるのは常に過去の息子であり、人より秀でることを目指してはならない。
私は子供の頃から常に人より秀でたいと思っていたのに。
何事も頑張ろうとしているように見えないのに、「十分頑張っている」と認めるルールがある。
実際頑張っているのは理解できるが、体育会系がむしゃら世代の私からすると甘っちょろい。

子育ては苦しいばかりだった。
もちろん、嬉しいことも楽しいこともたくさんあったけど、それを上 回るマイナス要因がある。

自分の居場所も、息子の居場所もみつからなかった。

なんだか全てが分からなくなった。
親はどうして子供を育てられるのか。
そもそもなぜ子供を産んだのか。
そもそもなぜ結婚したのか。
私は何が楽しいと思えるのか、私はどこまで楽しいことをしていいのか。
私の存在理由も分からなくなった。
当たり前のことが当たり前ではない息子を育てていると、私の当たり前が崩れる。
息子を受け入れることが、私の過去・・・幼い頃の私を否定することになってしまう。
親が当たり前のように感じられると思っていた、子供のかわいさ、子育ての喜び。
それをあまり感じられなかった場合、もしくは、それを上回る苦痛があった場合、母性は湧き上がるのだろうか。
無償の愛なんて有り得ないと私は思う。
石ころをかわいがれる?噛み付くだけの犬をかわいがれる?
親は子供の笑顔や仕草など、かわいらしい部分を見て愛情が深まるのではないだろうか。
私は母親らしい母親に成長することができなかった。
成長どころか、後退している。
目の前にあることはこなしつつ、心はどこか遠くに現実逃避している。

精神科の薬を半分まで減らし、減らした時の状態を維持している。
どういうことかというと、イライラしやすくなり、悩みが増えたが、それ以上は悪化しないままだ。
元の私に近づいたのかな。忘れてしまったけど、なんとなくそんな感じがする。
自分の感情に振り回されてるけど、今のところはこれでいいことにしておく。
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今年度は一気に忙しくなった。
忙しさの一つに、息子が通級に通い出したことがある。
息子は自分の居場所を見つけるヒントに出会えたのかもしれない。
いや、もしかして通級が息子の居場所そのものかもしれない。
通級に行くことをとて も楽しみにしている。
私も通級で似たような境遇の保護者と出会えて良かったと思う。

ほかにも新しい出会いがあり、顔と名前を覚えることがなかなかできずに困っている。
逆に、覚えたい人がいっぱいいることは嬉しいと純粋に思う。

まあまあ、気楽にいきましょう。
考え過ぎないことを心がけたい。

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