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生きなくちゃ(無気力で低次元だけど-2007-11-22)

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★生きなくちゃ

母に言われました。
「(私が)ヒステリックになっている時は、病気を差し引いたとしても・・・低次元!」

“低次元”ってところが強調された言い方で、頭の中でこだましました。
若干傷つきましたが、そのとおりです。 いつも母に指摘されることで苛々し、自分自身に苛々し、息子に苛々しています。

私は確かに低次元です。 「この冬のアウターはどんなのを着ようか、買わないで済ませられるか」 対象年齢が10才は間違えている?ファッション雑誌で研究しました。 そのファッション雑誌は、いつも発売日に買っています。 大好物です。 今が一番流行に敏感です。 とは言え、値段も装いも雑誌より地味です。 トシですからね。

ネットで「いい感じ♪」の物を見つけたのですが、悩んでいる間に売り切れました。 悔しいので、そのブランドに問い合わせる執念深さです。 現在着ているのは、妊婦の時に買い、Lサイズなのに大きなお腹丸出しで着ていた約4年前のセール品です。 実家に居候している間に秋から冬になったので、実家に置いてあった物を着用せざるをえませんでした。

若い子が着ればかわいいかもしれませんが、私が着ると 「着膨れした、年齢そのまんまのおばちゃん」です。 私の目標は「子持ちに見えないこと」もしくは、「子供がいるのにおしゃれ」です。 裏を返せば、気持ちを持ち上げるため、少しでも心が動かされることにしがみついていると言えます。

だから、私からおしゃれすることを取り上げたら、生きる気力もなくなります。 自転車で坂道を下っている時、いつも思うのです。 「このままブレーキをかけなかったら楽になれるのかな」 生きることから逃げたい気持ちが、いつでも付きまとっています。 居候している間の私はといえば、 朝はいつまでも起きれないし、 家事はしないし、 育児する気がないし、 なかなかエンジンがかからないし・・・。 精根尽きて果ててます。 ダメ母、ダメ妻、ダメ人間。

まさにそれが私です。

どうせダメなら、とことんダメで行ってしまうのが私の悪いところです。 悔しいけど、ダメじゃなくするエネルギーはありません。 結婚したばかりの頃は幸せの頂点でした。 やっと“理想の私”になれたと思いました。

自尊心がなく、コンプレックスの塊だった私は、いつも漠然と「負け」と思っていましたが、初めて「勝った」と思いました。 山の頂上に立ち、過去を許して捨て、清々しい気分でした。 山の頂上の先には、崖がありました。 私は崖から落ちました。 築き上げてきたこと・・・ 勉強を頑張ったことも、仕事を頑張ったことも、家事を頑張ったことも、 ぜーんぶチャラ。

すっかり忘れ去られました。 夫は出会った頃から私は異常的だったと、喧嘩するたびに言います。 スキンシップは全くなく、触れようとすれば手をはたかれます。 私に憎しみを持っているのでしょうね。 私が息子に憎しみを持つことがあるのと同じですね。 新婚時代から息子が夜泣きするまで、毎日“愛妻弁当”を作ってたことなど、もう忘れてしまったのでしょう。

たった一人で育児を抱え込んでいた時代があったことも、もう忘れてしまったのでしょう。 父も母も、私をかなり低い次元で見ています。 私が築き上げたことなんて、とっくになかったことになってます。 夫も父も母も、私のことを、ダメ母、ダメ妻、ダメ人間って思ってることでしょう。 親は我が子が無条件にかわいいものです。

私もそうです。 でも、どんな悪条件でも、かわいいと思い続けられますか? 育児放棄したくならないですか? 私はきれいごとが大嫌いです。 親だって感情を持った人間です。 好き嫌いだって、欲求だってあります。
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子供がかわいくなくなったり、育児放棄したくなることだって有り得ると思うのです。 私は息子のことをかわいいと思ってますが、育児のやる気を取り戻せずにいます。 だけど、死ぬわけにはいきません。

低次元でゴミのような私だけど、息子だけは 「ママ、大好き。
かわいいから」 と言い、抱きしめてくれるからです。

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