ノロウイルスが大流行だ。
連日このニュースばかりで、嘔吐恐怖症の私は、甦ってしまったトラウマの数々と、この先起こるかもしれない恐怖に怯えている。
いっそ死んでしまった方が楽かもしれないとさえ思ってしまう。
もしタロウがいなかったら、ここまで怯えなかったと思う。
タロウが感染したら、もちろん看病をしなくてはならない。タロウは具合が悪くてもぐったりせず、私に苦しみを押し付け、助けを求めてすがり付く。自閉症特有の不安とこだわりのせいだが、これがハンパじゃない。
仕方ないと分かっているが、かわいそうと思う余裕さえ持てない。 私のような嘔吐恐怖症の人には信じられない話だけど、ノロウイルスの感染拡大の理由の一つとして、ノロウイルスに無頓着な人がいるということが言える。
変な話、普段から吐くのも吐かれるのも慣れていて、それが不快ではあっても恐怖ではない人は、ノロウイルスのことを知ろうとしない傾向にあるように思う。
症状が治まったら完治とみなしてしまい、保菌者という意識がないから、結果的にウイルスをばらまいてしまう。
そんな人を批判するほど私は偉くないが、関わり合いたくないと思ってしまう。
[ad#yume_inline]どんなに素敵な人だろうと。 以前の私は、他人に自分の価値観を押し付けてはいけないと思ってきた。だから、他人との価値観の違いは、なるべく寛大に受け入れるようにし、どうしても受け入れられない場合は、その人から離れていった。
基本的には、好き嫌いを持たないように心掛けていた。
でも、タロウを産んでから私は変わっていった。 人付き合いが1対1ではなく、親子対親子になると、最初に書いた個人対個人の価値観の相違だけでなく、親としての考え方や、子供の性質の相違が生じてくる。
私の許容範囲は、やむを得ず狭くなった。 タロウが赤ちゃんの頃は、いろんなママとお付き合いしていた。
タロウが育てにくくても、私が調整役になることで、お付き合いを保つことができた。
調整役とは、タロウのために全て私が犠牲になるということだ。
いつも一杯一杯な私は、だんだん余裕がなくなっていった。 そんな時、タロウは初めてのひどい風邪を引いた。
最初の方に書いたが、タロウが風邪をひくと、自閉症特有の看病困難になり、私は日頃心に余裕もなく、嘔吐恐怖症もあり『最悪』になる。 人付き合いには、『風邪やウイルスに対する考え方』の一致を強く望む。
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