『タロウと友芽の奮闘記』を執筆する為、撮りっぱなしになっている写真をクローゼットから引っ張り出した。
『タロウ1才0ヶ月』の資料がほとんどなく、私の記憶も薄く、写真を頼りにしてみようと思ったからだ。
私の心が崩壊し、アルバム整理がタロウ1才の誕生日で止まっているので、その後の写真はバラバラだ。 写真がバラバラ、記憶はうやむや…写真を整理しているうちに、息が苦しくなってきた。
楽しい思い出にはつらい思い出が覆いかぶさり、ほとんど見えない。
作業を途中で止められぬ私の『こだわり』が自分の首を絞めることになった。
育児日記はつけてなかったが、『思い出日記』という絵本のようなものに成長を記録していた。
1才0ヶ月の記録が欲しいのに、1才当日までしか記録してなかった。
アルバムに張りそびれた0才のタロウの写真が出てきたので『思い出日記』に張り付けようと、何気なくめくっていた。
すると、生まれたばかりのタロウへのメッセージが目に飛び込んで来た。 泣けてきた。
「お腹からこんなにかわいい赤ちゃんが出てくるとは思わなかったよ。タロウが生まれて、たくさんの人が祝福してくれたよ。
今のこの喜びを忘れずに、一緒に楽しく生きていこう」
これから地獄の日々を過ごすなんて微塵にも思わず、希望に満ちた当時の私のことがものすごくせつなかった。
諦めと絶望で衰弱した今の自分がかわいそうでならなかった。
[ad#yume_inline]自己中なのは自覚している。 私はもう生きることに疲れている。
タロウが生まれてから、何とかごまかして生きてきた弱い部分ばかりが痛めつけられている。
毎日、いつだって生きにくい。
順調な成長をしていたタロウが、1才半の時『人との違い』を感じ、3才の今『人より遅れている』。
希望に満ちていた私を殺せば、生きる気力を持てるだろうか。
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