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2005年11月30日 障害と夢と戦い

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★私のカッテな主張★

発達障害のあるお子様、または発達障害傾向のあるお子様のご両親へ 今回のコラムはあなたを不愉快にさせてしまったり、傷つけてしまうかもしれません。

私に悪意はありませんが、今回は私の思い込みたっぷりの勝手な主張をさせていただきたいと思っています。自己満足です。 読んでいただくかどうかの判断はお任せします。

反論は受け付けませんが、もしおありでしたら、メールにてよろしくお願いいたします。     私にとってタロウはかわいい息子であり、恋人でもあり、アイドルでもある。タロウは今が一番育てやすく、今が一番かわいい。

私の心はだいたい明るいが、どこか一部は暗い。

近い将来のタロウ、大人のタロウ…タロウのことを思うとちょっと苦しい。

子供が将来の夢を思い描くのと同じレベルで、私はタロウに将来の夢を思い描いている。平凡でも普通でもいいから、社会人になり、結婚して、子供を作って欲しいと。もっと近い将来で言えば、私達夫婦のように絵画で学校代表になって欲しいとか、ダンナのように走るのが速くなって欲しいとか夢見ている。

最近、区役所で借りた『高機能自閉症』の本をパラパラめくっている。ちゃんと読まないのは、自閉症博士になるつもりはないからだ。私はタロウの博士でいい。必要な情報だけを頭に入れている。

いろいろな本やネットで見た限りで言えば、タロウはほぼ確実に軽い自閉症と思われる。自閉症は脳の障害であり、大人になっても『自閉症の大人』なのだそうだ。育て方しだいで、自分の特性とうまく付き合い、自分に適した人生を歩むことは可能なようである。が、私の夢は遠ざかったように思う。平凡だの普通だの、高望みな夢になったのだ。

私はタロウ博士を目指している。タロウの個性的な特徴はよくわかっている。

とても育てにくい特徴だけど、それを前向きに諦め、大器晩成だとか、今だけだからいずれ普通になるとか思い込んできた。が、それは間違いだったのかもしれない。今だけでなく、これからも付き合い続けることになる『発達障害』なのかもしれない。 最初に書いたように、今が一番育てやすく、一番かわいい。それは、タロウが言葉という表現手段を得たおかげでもあるが、私がタロウの苦手なことを全て知り尽くし、タロウの生きやすい生活を作ってあげてるからだ。

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もしもまた、以前の私達のように公園通いをしたならば、タロウは公園に入ることを拒絶して号泣することだろう。公園に入れたとしても、滑り台にもブランコにも近付けず、人と違うことに単独で没頭し、今度は公園から帰ることを拒絶して号泣するタロウを目の当たりにすることだろう。私とタロウは、穏やかに生きるため、苦手なことから逃げたのだ。

これからも私とタロウは、苦手なことと戦っていくのだろう。終わると思っていた戦いは、まだまだ続いていく。今は一時の休憩時期だ。戦いの終わりはずっと先だろう。   私の経験した育児の苦労で、一つの国家資格をいただいてもいい位の技術を身につけたと思っている。将来、それを生かした仕事をしてみたいと思うようになった。

人の役に立ちたい、人に親切にしたい。人に対しては誰だっていい人になれる。だって他人だもの。所詮他人事だ。それが悪いこととは思わない。他人事だからこそ、客観的に冷静に見ることができるのだから。

私は偽善者的な考え方をあまり好んでいない。

今後、私とタロウも他人の力を借りていく。

もうすぐそれが始まる。複雑な思いだ。

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