今朝タロウが「ポンポン痛い」と言った。
初めてそう言った日から10日も経つ。
まだ完治してないようだ。このお腹の風邪は頑固だ。 4日前から弟がお腹の風邪を引き、今日は点滴を打った。タロウの風邪が移ったようだが、タロウより重症だ。症状も重度も人それぞれなのだろうか。
実は、私も母も胃腸が不調になった。私はここ数日胃腸が痛く、胃腸薬を飲んでいる。ま、体は元気だけど。 タロウはこの風邪を機に変わった。
里帰りしたことも関係するかもしれない。 これは成長と捉らえていいのか、それとも、一時的なものなのか。 一日中観てても飽きなかった((ミ゚o゚ミ))を、この4日で4時間前後しか観てない。
では何をしてるかというと、実家二階の部屋に私とこもっている。トミカの高速道路と車達でごっこ遊びをしている。 私は『ポンプ車クン』や『救急車クン』の役で、事故の度に出動しなくてはならない。
トミカの高速道路の事故は故意であり、何度も起こされる。 私は一日数回、二階に拉致される。
((ミ゚o゚ミ))中毒が治ったと思えばとても嬉しい。だけど正直…ちょっとつらい。これでも私、元『女の子』だから。 でも可能な限り付き合っている。 ふと、あることを思い出した。 A君は小学校低学年の時のクラスメイトで、ちょっと個性的な子だった。
今思えば何らかの障害だったのだろう。その子の家に一度、皆で遊びに行った。
[ad#yume_inline]A君のお母さんのことが、当時衝撃的だった。私の気持ちだけが鮮明によみがえる。 確か、A君がお母さんに「○○作ったから見て」と言うと、わざわざ足を運び、優しい眼差しでそれを見て褒めた。当時の私が母に同じことを言ったら「忙しいから後で」などと言われ、断られたり、たいして褒められなかった。
多分それが一般的であり、そのせいでひねくれたりはしなかったが、A君が強烈にうらやましかった。 私はタロウの遊びに付き合う度に、あの時のことを思い出していた。
そして、私は優しい母でありたいと思った。 心の薬を飲んだり、ホムペに愚痴を書いたり、ダンナや母に八つ当たりしたり、母として自慢になることなんて何一つない。タロウの見てないとこでいろいろ取り繕ってるけど、タロウにとっては優しくて大好きな母だと思う。 A君のお母さんのようになりたいと思い続けてきたが、A君のお母さんの気持ちを考えたことがなかった。
もしかしたら、私のように苦しんだ上での優しさかもしれない。
私のしてることは無駄ではないと、少し前向きに思えた。
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