「タロウが一番育てにくかった時期はいつだろう」
とよく振り返る。
峠を越えたと思いたいからだ。が、比べようもない、その時その時の難しさがある。
変わらないのは、いつも「今が一番かわいい」と思うことだ。
ただ、抱いてりゃどうにかなった赤ちゃん時代よりも、ごまかしのきかない今の方が、精神的にこたえている。
つらいことに耐えるため感情を殺し、心を守るため殻にこもっている。
昨日、デパートで高校時代の仲良しな友達を見かけたが、声をかけられなかった。
年賀状での妊娠報告に、「おめでとう」も言っていない。
そういえば、最近『天使な我が子』のコラムを書いていない。書くことがないからだ。
このホムペを始めた頃の『天使な我が子』をちょっと読んでみた。そこには、まだ希望を捨てていない私がいた。
「育てにくい子は進んでいるだけだから、今が頑張り時。タロウは明日にでも、来年にでも育てやすくなるはず」と。
その頃、タロウはまだ標準の範囲内にいて、ちょっと個性的な成長は天才だからかもと期待していた。
ふっ…馬鹿な期待。
タロウの個性的な列車は、“天才”ではなく“障害”という駅に到着しようとしている。
『天使な我が子』が途絶え気味になってから成長したと思えることは、
『拒絶と拒否と要求をする時の口が達者になったこと』
『実家と自宅の行き来や、公園から帰るタイミングなど、多少の暗黙の了解がわかるようになったこと』。
2才代後半は微笑ましい成長がなかったように思う。
嫌な言い方だけど、『自閉ならではの秀でていること』が、タロウにはない。 例えば『字』。
タロウは興味がなく、10までの数字しか読めない。
たくさん絶望してきたから、感情を殺してるから、もう自力でテンションを上げることができない。
時の流れに身をまかせてればいい?
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